入社一年目の教科書

友人に借りたけど、読みやすくてすぐ読めた。
全体を通じて「それがあなたの成長を加速するのです」みたいに、
成長=絶対的真みたいになってたのが少し癪に触った。

これは作者がそう信じているのか、それとも商業的にそのようなスタンスをとってるだけなのか・・


内容的には共感する所も多く、参考になる部分も多かった。

・体力づくり
・お金を使うときは頻度も考慮して年額計算する
・いい財布欲しい
・仕事のあいてには適度な距離感を保つ
・古典に対する興味が5ポイントくらい上がった
 (今40ポイントくらいで、多分100くらいまでいったら何かに挑戦すると思う)



今の自分ではあまり共感できなかったところ

・チャンスは一度きりのときもあるので無理をすべきときもある
→「無理はしない」主義で生きて来たからなぁ・・

・遅刻は絶対にするな
→遅刻を絶対にしない人間になれる自信が1ミリもない。



以後は余談。

本っていろいろな読み方がある。
何の気なしに読んだ本が数年後に効いてきたりする。

小説の一節が自分の生き方に影響を与えたり、
ビジネス書の内容が明日の思考を変えたりする。


新しい知見については慎重に観察して
共感できる部分と、そうでない部分をわけて、
得たいものを得て、
なりたい自分を形成していく作業の一助としての読書、

っていう見方もあるのではないかと、思った。





本と言えば、Twitterでフォローしてる少佐さんの読書の仕方も素敵だと思った。

以下、ありきたりな目眩 - 科学と文学 より抜粋


さて、古典に限らず、僕の読書は全く体系的でない。僕はとにかく漫然と読む。書く時はさすがに折り目正しく姿勢を伸ばし、多少意気込んで書いてみたりもするが、読むとなるとこれが全く出来ない。基本的には寝転んで読む。そうでなければ深く腰掛けて読む。前のめりの読書というものを、僕は絶えてしたことがない。辞書を引きながら外国語の古典を読むときでさえ、やわらかなソファにうつ伏せていたりする。読書は第一に快楽であり、その最中には些かの苦痛も許しがたい。身体の力を抜かなければ、頭に力は入らない。小脇には常に5册以上の本が控えていて、左手の下には常に何かしらの辞書辞典が積んであるのが望ましい。或る本に疲れたら、別の本を手にしてまた漫然と読む。詩に疲れたら小説を読む。小説に疲れたら評論をつまんでみる。それに疲れたら辞書を開いて、語釈と用例をふむふむと眺める。仔細な文法書があればそれも読む。飽きた頃には詩の頭が緊張から恢復しているので、もう一度詩を読んでみる。気に入った文句を紙に書き写して感心してみる。対訳などあれば、自分でも翻訳を試みる。そして活字の訳文と見比べて、拙い筆跡は丸めて捨てる。僕の読書は不真面目だが、多読乱読と力むよりはずいぶん自由だと思っている。