ぼくらのサイテーの夏

先日読んだ「楽園の作り方」と同作者の児童文学小説。
小6の男の子が少し成長する話。

ぼくらのサイテーの夏 (講談社文庫)

ぼくらのサイテーの夏 (講談社文庫)

分量は少なく、一瞬で読めた。さわやかで、軽快で、読後感も良い。

が、一方で児童文学だけに、物足りなさはある。
文字数が少ないからかな?と思ったけど、俳句や詩には無限に広がる深遠が感じられるため、文字数ではなく内容に起因するように思う。子供向けにしてあるから、物事も心情も会話も単調である。特に数日前に読み終えたのが江國香織の「冷静と情熱の間」だったから、余計に、というのはある。

もっと胸をえぐられたり、衝撃を受けたりなどしたい。こうして活字やら映画やらイベントやらに刺激を求める中毒者ができるのでは・・と思った。少しの刺激で満足することは、小さな幸せに満足することと似ていて、それはそれで幸福なのかもしれないけど、でも自分がそうなりたいのか、と考えたらうーん・・って感じです。


でもちょっと考えてみたら、「子供向けの小説がイージーすぎる!」って憂う必要もなく、社会には(わかりやすく限定していうと図書館には)もっと難しくて、重くて深くて、わからないことがそれこそ腐るほどあるので、心配いらないな、と思った。

ツァラトゥストラは「私は知識を得すぎた。ミツを集めるミツバチのように。だからそろそろこれを人間たちに与えるのだ」みたいなことを語ってたけど、自分の脳みそではここまで知ることはできないだろうし、飽和状態になるくらい知ったとしても、組み合わせたり、創造することも楽しそうなので、ぜんぜん大丈夫だ。



それよりもあと3週間後には社畜人生始まってるから大丈夫だ。大丈夫・・・