小説家という仕事


物理学の教授をやりながら「すべてはFになる」とか「スカイクロラ」とかヒット作を出し続けている森博嗣さんが、どんな経緯で小説を書くようになったかを知りたくて。


小説家という職業 (集英社新書)

小説家という職業 (集英社新書)


目からウロコというか、これまで自分が持っていた「小説家」のイメージが覆された。もっともこれは筆者に限った話かもしれないが。



そもそも小説を読むたびに、「小説家という人たちはなんでこんなにいろんな言葉を知っていて、いろんな音楽、絵画、建築のことを知っているのだろう」と思っていた。そして「おそらくそれだけいろんな小説を読み、言葉を学び、音楽を聴いているのだろう」と。

それに対して森博嗣氏は「小説家になりたいなら小説を読むな」と一蹴する。「他の人の小説を読めば、その人のスタイルの模倣を始めてしまう」と。確かに、優れた言葉選びや優れた表現に憧れるならば、意識せざるとしまいと自分の作品に取り込むことになるだろう。



そのほかも、彼の語る「小説家かくありき」といった持論は、おそらく普通の小説家や編集者、出版に関わるものからしたら異質かもしれないが、ロジカルで、納得感があった。少なくとも自分には、なじみやすかった。



・アウトプット

筆者は、読書や観察でいろいろなことを取り込んだら、それを吐き出すかのように小説を書いていると言っていた。この点にはなるほどと思った。自分の場合も、本を読んだり何かを考えたりしたことについては、ノートやブログに書き留めないとモヤモヤすることがある。忘れてしまいそうな不安感や、気になって他のことに集中できないというストレスになる。

インプットし続けたら満腹になり、アウトプットし続けたら空腹になる。

多く情報を取り入れ、大きく変換し、多くの情報を出す、といった新陳代謝が、健康的なように感じられる。